海岸屋ふー通信


海浜住宅建築舎
by kaiganyafoo
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
公式サイト
最新の記事
古民家 民泊 bimbetta
at 2024-08-08 16:58
夏のお知らせ
at 2024-07-25 14:25
草庵な上棟
at 2024-05-18 15:39
年越し
at 2020-12-31 17:40
ナラ・桜・タモ・モミジ(かな?)
at 2020-12-21 11:45
最新のコメント
by 鉋 at 21:07
玉木彦助
by 菜月アイル at 21:06
by 鉋 at 21:10
岩澤健吉
by 荒堀謙次 at 21:10
by 鉋 at 13:03
爲井椋允
by 北脇里規 at 13:02
by 鉋 at 18:11
大武理菜 平塚由佳
by 大武理菜 長瀞渓谷 at 18:10
by 鉋 at 17:28
岩立良作
by 住谷春也 at 17:28
フォロー中のブログ
外部リンク
カテゴリ
以前の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

今どき手刻みで家を建てる理由 (海岸屋版)

みなさん おつかれさまです。




海岸屋は酒もタバコもやりませんが
さらにここ一年くらい「うおーきんぐ」なるものをやっています。
(健康フェチではないですやむをえない自衛というか・・)
昼間歩くと挨拶なんかをしてくれる人がいるのでいつも夜歩いているんですが
たまに 暗い夜道に人の顔が浮かび上がっていることがあります。
(ホラーではない)

スマホですな。
真っ暗な道をスマホ見ながら歩いているんです。
うーん
どうかと思うな。
スマホの中に人生の真実はないよ。
足元がお留守になっててつまずくかもしれないしね。(ナニかの比喩ではない)




さて、
古民家の調査とか 中古住宅の片付けとか 小さな基礎工事とか
大谷石の加工とか 引き戸の取っ手作りとか 草刈りとか
あいまに少し大工仕事(!)とかやってます。
何屋さんなんだかわかりません。

でも、作業場では加工がはじまりました。
今どき手刻みで家を建てる理由 (海岸屋版)_a0157159_18393872.jpg
海岸屋は舟弘さんに叩きのみを一式頼んだけど
それとは全然関係なくはじまりました。ちぇ!
(舟弘さんには、メール入れて 電話して FAXもしたので大丈夫だと思うんですが・・)

まー
「刻み禁止令」が海岸屋個人に対して発動されているという噂もあるんですが
㈲海岸屋ふー全体では 「手刻み以外禁止令」が発動されっぱなしですから
まー
墨付け手刻みが一番面白いのにこれをやらなくてどーす・・・ゲフンゲフン
ねー 都倉さん。(誰?)




さて、手刻み。
ずーーーーーーっとひっかかってます。
はい
今どき手刻みで家を建てる理由 ですね。
最近では難しい加工でもプレカットでできるそうな。
(プレカット、わからない人 いますか? 構造材の加工を工場にさせることですよ。)


海岸屋は手仕事至上の原理主義者ではありません。
丸ノコもそれ以外の電動工具も使います。
それでも「手刻み」と言っていいのか。
もちろん手道具も使いますが。

では
それら電動の機械はプレカットとどう違うのか。
プレカットも大きな意味では道具に過ぎなくて
それをちゃんと使いこなせばいい という考えは成り立たないのか。



たぶん 成り立たないんです。
その違和感の正体をうまく言い表せなかったんですが
このあいだ少しわかった気がしたのは 「プレカットは材木から手を離している」という点です。

どんな道具で加工をするとしても その材木が作業場に入ってくるかぎり
自分たちの目で見て判断をして 自分たちの手で加工をしますが
プレカットの場合は材木に触りません。
工場から直接現場へ行く。

大工が材木から手を離したら何がおきるのか。
現在、あらゆる住宅におきている貧しさをみればそれはあきらかです。
いや、
自戒をこめて言ってみれば、まず第一に大工が貧しくなって
その貧しさが、作っている住宅に反映する と言ってもいい。

言い方を変えれば、大工は木に触れることによってのみ成長して
作り手として成熟することができるのだ ということもできます。

世の中の大抵の仕事は対人関係の要素が含まれていますが
大工の修行のはじめはそれとは違って木材と向き合うことだけに集中します。
四角い穴を掘ろうと思って四角い穴が掘れれば自分の手柄
いびつな穴が掘れたら自分の手落ちなんです。
どこにもあいまいなところはない。
今どき手刻みで家を建てる理由 (海岸屋版)_a0157159_18490370.jpg

ちゃんとした穴が掘りたければうまくなるしかない。
うまくなるには木に触り続けるしかない。
近道はありません。


私たちが作っている建物は実用品としての側面と
それからやっぱり 嗜好品としての側面があると思います。
それはちょうど、食べ物にも栄養という観点と 
美味しい という価値とかあるのに似ています。

料理を作る人たちが それこそ人生を賭けて挑んでいるもの。
それは 人を満足させたり感動させたりする食べ物を作りたい ということでしょう。
やはりそこにも近道などないのだと思います。



K女史が昔、建築塾の終了制作で、「おいしい建築」という名の文章を書きましたが
できれば私たちは人を感動させるようなおいしい建築を作りたくて
今日も明日も手仕事をするんだと思います。


by kaiganyafoo | 2017-09-27 19:15 | 工事 | Comments(12)
Commented by スバナ at 2017-09-27 23:26 x
その通り❗
Commented by kaiganyafoo at 2017-09-28 00:43
スパナさま ありがとうございます!
Commented by 刻み推し at 2017-09-28 20:36 x
素晴らしい
Commented by kaiganyafoo at 2017-09-28 23:33
刻み推しさま
本当に、「刻み」を「推して」いただけると嬉しいです。
これから家を建てていく若い人たちにも伝わる言葉が使えればいいのですが。
Commented by 通り土間 at 2017-09-29 19:42 x
お疲れ様です。
通りすがりの私のような造り手ではない側=素人からの視点で少しよろしいでしょうか。

20年以上前に買った1足3千円の靴下や、15年前に買ったフェラガモの靴はいまだに現役。
それだけ大事にしていることもあります。
素材の良いものや手が込んでいる品はそれなりに高価で買うには勇気と勢い、つまらぬ見栄が必要でした。
かたや3足千円の靴下は1日で破けることがあったし、3千円の靴は足が痛くなるばかりでスリッパのようです。

昨年グレンフォシュの薪割り斧を買いましたが、良く割れるし格好良いし高価な買い物でもそれ以上の働きと満足感を得ることが出来ました。
コレクター的な付加価値と、実用的な付加価値の判断基準的なものは自分なりの人生の中で培ってきました。
しかしそれは皆同じことであるはずなのに、こと住宅に関しては付加価値(日本の伝統工法)を求める人口が減る一方である様子。

私に大工の専門知識はありませんが、職人が木の目やクセを見抜き、それを鍛えられた大きな素手と手入れの行き届いた道具で加工し、ただひたすらに向き合ってきた材木達が芸術的なつなぎ方で結合される様に、見るものは圧倒されます。手作業の温かみ、手触りの良さがそこにはあります。機械やロボットが加工したのではなく、職人の手による気持ちの込められた価値のある材木達。その付加価値について日本人は何かを感じ取らねばならないと思っています。
家族は完成した柱を見るたび、白い塗り壁を見るたびに心が安らぎ、心は平穏。帰宅して玄関を開けるたびにほのかに杉の香りがする我が家で家族が集い、思う。何よりも代え難いものであると。

薪ストーブや、古民家再生などが静かなブームで終わらず、手刻み仕事の家がそのうねりに少しでも乗れるよう雑誌やTVなどで取り上げてほしいと思っています。住宅の付加価値については、多くの人が知らないだけ(忘れてしまった?)であってちょっとしたきっかけで興味を持つことにより大きく意識が変わるのではないでしょうか。家を建てたいと考えたとき、まず過去、現状を知ることで確かな目や正しい知識を得るべきと考え、個人としてもそれを理想にしています。

(失礼ながら)勝ち目はないにせよ、新建材を武器に跳梁跋扈している住宅メーカーにせめて一矢報いるよう、海岸屋チーム、手刻み職人達を微力ながら応援していきたいと思います。
Commented by 余計なお世話かも at 2017-10-01 21:06 x
ただいま帰ってまいりました。
往復1200キロ運転で少しナチュラルハイです。

昔手伝いで行ってた現場での話です。
土台と柱は 其処のこだわりで 手刻み
その他をプレカットでやった 現場がありました。
六尺の繋ぎの土台 芯々で六尺二分ありました。
その為に建付が悪くて難儀しました。

其処の大工さんのこだわりは わかりますが
精度が出せない手刻み 機械に負ける
こだわりなんて お客様には 迷惑な事だと
思います。

でもそう言う所に 仕事があるのが
現状です。

京都の山奥に移住するかなァ
Commented by kaiganyafoo at 2017-10-02 01:17
通り土間さま
力強いお言葉、ありがとうございます。
手刻み仕事を採用している工務店は減り続けています。
私の住む外房地域ではウチと私の親方、それから以前に在籍していた会社くらいしかなくなってしまったように思います。 
私の目からみると、なぜ大工がそんなにも安易に刻みを手放してしまうのか、と残念に感じるのですが。 私個人で言えば刻み仕事くらい面白いものは他になくて、その奥行きの他に、世界的にみても貴重な技術であるだろうにという印象を持っているからです。
それは今、私たちが携わっている在来工法が、非常に多様な間取りや空間造りが出来て、それでいて柔軟で強固な構造を構築できるという貴重さ、と言う意味です。 
私は世界中の住宅に詳しいわけではありませんが、世界中をまわった経験のある建築関係者を何人も知っていて、その人たちからいろいろな話を聞くほどにそう思うのです。 
石で作った住まいでも土で作った住まいでもそこで幸せに暮らすことは出来るでしょうが、こと日本においては木で作った住まいこそが人を幸せにすると信じています。
ですから、私が先輩方や親方から教わった技術を簡単に捨てることはあり得ませんし、できれば後進のだれかに伝えることで責任が果たせると考えてもいますが、それもこれもそのような仕事の仕方を支持して依頼して下さる方々がいればこそ、なのです。 私がガラにもなく文章を書いたり、講座を引き受けたりするのも、寡黙な職人が声を発することなく道具を置いてきたことへの抵抗でもありますし、その価値を多くの人たちと共有して残して行きたいという願いでもあります。 今、住まいを含めた手仕事の文化が、あるいは木の文化が滅びてしまう危機に接しています。どうかこれからも応援して支えていっていただければ と思います。
Commented by kaiganyafoo at 2017-10-02 01:34
余計なお世話かも さん
おっしゃる通りです。 今も昔も、プレカットに勝る精度で刻みのできる大工はごく一部だと思います。
プレカットがこれだけ一気に普及したのは、その程度の仕事しかしてこなかった大工の責任でもあると思っています。
ただし、世の中の常として、メリットだけが成立するということはなくて、どんな改革でも功罪半ばするというのが本当だと感じています。 
今回の話で言えば、プレカットの精度を基準にして、身の回りのほとんどを工業製品でかためて暮らすことが人の幸福につながるのかという疑問があります。
毎日ご飯を食べている茶碗だって、ただの工業製品では満足しな人々がいるからこそ瀬戸物屋に並ぶたくさんの器を購う人が絶えないのでしょう。
精度を否定せずに、そこを踏まえたうえで人の手で作ったものの良さをどうやって追求するかというのが私の課題です。
おそらく京都の山奥の方もそこは全く同じなのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
Commented at 2017-10-02 20:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kaiganyafoo at 2017-10-04 08:53
確かにその方自体は友達ではないものの、共通の友人がいるようで時折情報が流れて来ます。
私などよりもはるかに徹底していらっしゃるし、強いエネルギーをお持ちです。
私がやってみたいと思うことをほとんどやってしまっているかんじですね。
いつかはお邪魔したいとは思っているのですが・・

よけいなお世話かもさんの大工道について今度お話をうかがいたいです。
Commented by 余計なお世話かも at 2017-10-04 21:07 x
何故か 非公開コメントになってしまったようです。

彼や海岸屋さんの様に 自分のやりたい仕事があり
そのような家に住んでいるなら 良いんですけど
自分の様に 建売の中古の家に住んでいると
何を言っても 説得力がありません。

自分の大工道は
日本一の小僧です。
Commented by kaiganyafoo at 2017-10-05 08:45
どんな自宅に住んでいるかはあまり関係ない気がします。
高◯さんだって阿◯さんだって古◯さんだって・・・
ウチも全然です。
すこーしずつでも自分の納得のいく方向へじりじりとですね はい
しつこく行きますよ。 これからです。
<< 嵐を呼ぶ上棟 「は」号作戦 そろそろ終盤 >>