海岸屋ふー通信


海浜住宅建築舎
by kaiganyafoo
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如庵と堀口捨己

みなさん おつかれさまです。


作業場のまわりの片付けなんかしているんですが
ふと見ると 雑木林の上をホトトギスが飛んで行きます。
海岸屋が平安歌人ならば、夏の歌でもうたうところだよねぇ・・(うたわない)
きょっきょきょきょきょ    としか聞こえんのよ。
a0157159_21545965.jpg





さあ 
大不評 如庵シリーズも海岸屋ふー通信始まって以来の長期連載になってしまって
もう正直、ちびまる子ちゃん的日常話題に戻る気まんまんではあるんですが
これで堀口捨己を取り上げないのでは片手落ち。
えー  お前なんかとっくに両手とも落ちてる ってのは陰で言ってね。



開き直って写真もないから覚悟してくれ。(何でだ)




さて、捨己だよ、皆さん。
オノレヲステル、ですよ?

ただ捨てりゃぁいいんだったら身投げでもなんでもいいんだけど
そうじゃない。(あたりまえだ)
ナニモノか大義のためにオノレを捨てる っていうことだよな
な? 捨己のお父さん? 
(どんなお父さんだったのかねぇ)


さて、堀口という人は分離派ってものの中心メンバーの一人で、
何から分離するかっていうと 「今までの建築(全部)」 から分離するんだそうです。
いいですねえ。
威勢がいい。
若い人はこのくらい言ってもらわなくちゃねぇ。

これを 東大出た仲間と卒業してすぐにやったらしいから
教えた教授も嬉しいんだか悲しいんだか。

これは ヨーロッパから出て世界中をまわったモダニズムでも
出だしのときは似たようなものですよね。 

「とにかくロマネスクとかゴシックとかバロックとかいろいろ言ってるけど
パルテノン神殿からこっち 全部ひとまとめで言うけど  それと俺らは違うから」 
みたいなね。
大変な馬力です。

この馬力が何に由来してるかというと、工業化社会であり、
具体的には鉄とかガラスとかコンクリートだということになってます。
新しい素材を使って新しい表現を ということでしょうか。
でも素材だけでは建築はできませんからなんらかのよりどころは考えます。

コルビュジェはドミノ理論とかモデュロールとか言いましたし
ライトのよりどころはタリアセンかプレーリー
安藤忠雄は幾何学でしょうか。

そして堀口は分離派ということなんですが、
その宣言を読んでも何をよりどころにして立つのかがわからない。
ただ そーとー力は入ってますな。
「我々の此理想の実現のためには我々の総てのものを悦びの中に献げ、倒るるまで、死にまでを期して。」とあります。

うむうむ 命を懸けたんだね。

そして堀口はだいたいこのくらいの時期に 「小出邸」 というものを作っています。
これは江戸東京たてもの園に今でも保存されていて誰でも見ることができる。
それは・・ まあ なんだかちょっと不思議なものです。

モダニズムと数寄屋というと 
吉田五十八先生が思い浮かぶけども この人はなんというか、例えば
「和食もこれからは国際化だね!」 とかいいながら 「出汁」 はしっかりとる
みたいなところがあるよね。

それに比べると堀口先生の方はモダニズムやるって言ったらモダニズムです。
コルビュジェが見ても うまいじゃん! って言いそうなものを作る。(言うか?)

それでですね、じゃあ和風を作ったらどうなんだ と言う話です。

和風 というかここでは数寄屋ですが、その中心課題は茶室ですが、
茶室の主演の 「お茶」、 助演の 「お花」 、 
いずれも元々は仏様に供えたものです。 
それが、
お金持ちだから贅沢するもんね という将軍様も
お金なんかないけど贅沢するもんね という将軍様も あんまり仏様の話はしない。
やれ、中国から茶碗買っただの絵買っただの
(自慢したいから)お茶しようぜー みたいなところがある。

それを
「いやいや やっぱ人間関係っしょ」
「茶の湯って、つまりは人付き合いじゃね?」 と言った利休前後の人達が、
主に禅宗のお坊様に、 「ね? そんでいいんだよね?」 
とバックボーンになってもらったはずなのに、
床の間に手紙かなんか飾っておわり ってところがある。
あんまり敬虔じゃないな。
ファッション的だな。

もちろんモダニズムの方々は宗教なんか重んじません。
ただ、そうは言っても完全に宗教色を抜いてしまったら茶の湯に何が残るのか
背骨が抜けたイカ (イカか!?) みたいになるのか?
そこを我が(?)堀口先生は突くわけです。


やー 
ぐるぐるまわって やっと入り口だぁ
みなさんもうんざりしてるだろうけど海岸屋だってそうだ。
もっと別の話がしたいよ。

というわけで あとの約束はできないままの
また今度だ!
では!

by kaiganyafoo | 2015-05-27 21:52 | 建物いろいろ | Comments(0)

如庵 危機一髪

みなさん おつかれさまです。

電子でもなく深切りでもない丸ノコを買った海岸屋です。
a0157159_20125490.jpg
今使ってる深切りの電子丸ノコはそんなに古くなってないけど・・
平行が悪くなっとる!
刃の出し入れで平行も直角もずれる!
海岸屋的には 深切りは 却下!
何?
深切りの方で海岸屋を却下?
まー 扱いが荒いってのはあるかも   だな。
丸ノコ入れる箱作っとこう・・  はい。





さて
軒桁なども雨漏りにより腐朽欠損している・・・ と言われた如庵ですが。

ふつう、桁っていうのはかなり丈夫な部材ですから、
なかなか雨漏りで欠損はしないもんですが
じゃぁ大磯時代の如庵はどんな風情だったんだろう と気になっていたところ
ちゃんと写真集が出てるんですね。
これ。
a0157159_1831677.jpg
むー
普通だ。
見たとこ普通だよね?

これらの写真が撮られたのは昭和35年から44年の間と書いてあったから
犬山へ移築する直前までを含んでいます。
傷んでいるのかいないのか・・

でもね、
こんなことが書いてある本もあるんだ。
a0157159_21282794.jpg
これは如庵の桁の断面です。
やばい・・・

国宝でもなけりゃ もう無理っていう世界ですね。
これが海岸屋の歯だったらとっくに抜かれてる・・(失礼)
で、
これが一番ひどい箇所かというとそうでもなく
いわば満身創痍の状態だったことが記録を見るとわかります。
(東京文化財研究所が 保存科学という冊子を出していて
それはネットで読むことができます。 ちなみに如庵関連は10号に載ってます)

この時代は今よりも科学に対する信頼感があったというか、
FRPや合成樹脂などの材料を使ってなおしていくことに前向きだと感じます。

今年あるところで見た文化財はやはり 人工木材 といわれる
人工的な素材で修復されており、
たまたま移築されることになったためいったん解体されましたが、
今回の修復ではできるだけ(天然の)木材で修復されると思う と聞きました。
でも 
ここまで傷んでいた如庵でもそれができたかどうか。
移築を担当した安井杢工務店の人にでも聞いてみたいもんです。




えーと
はたして如庵がどのくらい傷んでいたのか知りたくて
あれやこれや調べていたら 堀口捨己のところまでたどりつきません・・トホホ

いうまでもなく堀口という人は、モダニズムということを正面切って考えた人だけど
その人が国宝の茶室の移築をどうやって指図したのか 
を・・書くのか書かないのか海岸屋。

けっこう体力使うしなぁ・・・

もやもやっとしたまま また今度!
では!

by kaiganyafoo | 2015-05-25 22:46 | 建物いろいろ | Comments(0)

如庵を救った男

みなさん おつかれさまです。


このあいだ 山梨の塩山というところで
はじめて人前でハツリをやった海岸屋です。
案の定ボロボロで、狙い通りに引き立て役ができました。(いや マジで)

ハツリは息が切れるねぇ・・
a0157159_20345572.jpg
この方の息は切れてません。







さて、前回書いた 「古い図面をもとに再現された」 お茶室は 
元庵という名前がつけられています。
でも、どのくらい復元できているか というのは誰にもわからないでしょうね。

浜離宮に「松の茶屋」 という建物が復元されていて
これは写真も残っているくらい最近まであった建物なのに
わからないことも多くてずいぶん苦労されたと聞きました。
まして
江戸時代よりも古いんじゃねぇ・・

そう考えると、1618年に建てられた如庵が今の時代に残っていることというのは
建築をやっている者やお茶の世界の方々にとってどれだけ有難いことかわかりません。
けれど やっぱり坦々と残ってきたわけではないのです。


如庵がある正伝院は江戸時代を通じていいかんじで大事にされていたと思うんですが
明治になるとちょっと大変なことになります。
お寺さんですからね。

廃仏毀釈が徹底された地域では
仏像を壊して薪にして風呂を沸かしたとか
今は国宝になっている五重塔に火をつけて燃やして金物だけを取ろうとか
ずいぶんひどい話が伝わっています。

正伝院も京都の民間に払い下げられて、貸座敷などに使われるようになったそうですが
それもほどなくして不振となり、売りに出されたものを そっくり買い取った人がいて
その人の名は三井八郎右衛門、三井財閥の当主でした。

当時、三井の本宅のあった東京麻布へ正伝院 如庵ともに移築されますが、
大正時代が過ぎ昭和もしばらくした13年、戦局を考慮したためか、
これを大磯の別邸に再度移築します。
たしかに麻布の三井本宅は昭和20年の空襲で全焼していますから
これをいわば疎開 避難させておいたのは立派な見識だったと言えるかもしれません。

さて
それからもうひと波乱。
はい 戦後の財閥解体ですね。

大磯にあった三井の別邸は城山荘という名前がついていて
各地からたくさんの名建築が集められていたといいますから
海岸屋は三溪園を連想しましたね。
そこを土地ごと購入したのが名鉄の社長 土川元夫です。
昭和45年のことでした。

その後大磯での如庵の状態が調査されましたが、内容は以下の通り。

1 礎石の沈下及び欠損は些少である。
2 軸部は各所が弛緩し、柱はことごとく再度の移築の際に根継ぎされ、湿気のために   朽ち、軒桁なども雨漏  りにより腐朽欠損している。
3 軒廻りは、小舞、化粧軒裏など、約六割以上が雨漏りによって腐朽し、また、木垂木  、竹垂木ともに半数以  上が腐朽折損している。
4 中窓の竹格子の竹は、約八割が腐朽あるいは折損している。
5 畳は床下からの湿気で腐食が甚だしく、再使用は不可である。
6 内部壁の暦腰紙は、一部破損摩耗のため補修を要す。襖紙は摩耗し、一部剥離もあ  る。


鬼気迫る報告書じゃないですか。
日本一の財閥 三井が買って 益田鈍翁らが茶会を開いた名席が
戦後20余年でこれです。
建築関係者だったら目に浮かぶ惨状ですよね。

一部剥離もある と書かれている襖紙は 長谷川等伯の絵が描かれているんです。
やばいね。 チョーやばい。


・・・と
なんだかプロジェクトXのテーマソングが聞こえてきそうな展開だけど
これを現在の犬山に移すにあたって、一人の建築家が大きな役割を果たします。

その人の名は 堀口捨己。





海岸屋ふー通信始まって以来の長編連載になっちゃってますけど
写真も全然載せなくて面白くもないけど、
長い付き合いじゃないですか、かんべんしてくんなまし・・(誰?)

ではまた。

by kaiganyafoo | 2015-05-17 21:00 | 建物いろいろ | Comments(0)

如庵見学記 その2 ジョアンって何だね?

みなさん おつかれさまです。

世間ではゴールデンウイークとかいうものがあるらしいんですが
海岸屋は一度も食べたことがありません。





さて如庵。
これは じょあん と読みます。(小学校か!)

日本に国宝の茶室は三つあって それぞれ
待庵 (たいあん)
密庵 (みったん)
如庵 (じょあん) よ呼ばれています。

で、
字の通り読めば 庵の如し (いおりのごとし)となりますが
え? ごとしって庵じゃないの? とつっこまれそうです。
いえいえ 庵ですとも。

じゃあ、漢字は当て字なんじゃないのか? と思った人が
「ジョアンってポルトガル語じゃね?」 と言ったとか言わないとか。
キリスト教の洗礼名ですね。
有名どころでは 高山右近はジュスト
黒田長政はダミアン そしてわが(?)織田有楽斎はジョアン なんですね。

如庵ができたのは1618年
キリスト教の禁教令が出たのはそれに先立つ1612年。
おいおい 大丈夫か有楽斎。
高山右近なんかフィリピンに追放だぜ・・
でも
大丈夫なんでしょうね。
家康が子供の頃織田家に人質になってて、有楽齋とは幼なじみだったという説もあるし・・
それから、 今話している如庵の前にも有楽齋は茶室を作っていて
それも如庵という名前をつけられていました。
「オレの席なんかキリスト教ダメって言うまえから すーっとジョアンだもんね!」
そんな言い訳は通用しないか・・

これは大阪にあったといいますが古図をもとに再現されています。
a0157159_21292153.jpg
うむむむ
そんなことばっかり言ってたら床の間のコレが十字架に見えてきた・・

座ってみた。
a0157159_21311939.jpg
さすがだなぁ・・
亭主みずからが床の間を背負う。
大名ならではの席じゃあないですか。

ちなみにここに座ってみると
おそらくどこの位置に座るよりも景色はいいようでした。
でも
今残っている如庵 (国宝の如庵のほうね。)
内部はこんなふうです。
a0157159_21422148.jpg
ずいぶんと心境が変わったように思います。
お客主体にシフトしたような。

でも あちこちやんちゃです。
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誰もやったことがないことをたくさんしてます。
客も喜んだだろうけど、本人もねぇ・・


さて この続きはまた今度。
お茶に興味のない人には申し訳ないけど、もう一回だけね。

おまけの写真はマンホール。
牛久になにしに行ったかは内緒。
a0157159_223946.jpg


明日は斧研いで
書道教室通って
それから塩山へ・・      ではまた。

by kaiganyafoo | 2015-05-08 22:05 | 建物いろいろ | Comments(2)

如庵見学記

みなさん こんばんは。

もうすっかりウラシマタロウの海岸屋です。
つまり
アッチ側では三日くらいだったのに
コッチ側にもどってきたらばナント数か月も経っててびっくりです。
ウソです
すいません。

お久しぶりでございます。忘れた?



さて
知ってる人は いったいいつの話をしてるんだか と言われそうなお題
「如庵」 でございます。

もーね
三か月も前の話で、 このままお蔵入りにしようかとも思ったんですが
それももったいない気がしたので。 はい。
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日本には国宝のお茶室が三つあるそうですが、
そのひとつが ここ、如庵です。
写真 撮れないわね。
かわりにこれを・・
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まず概要から話をすると、如庵をつくった人は織田有楽斎という人で
この人は織田信長の実弟ですね。

兄ちゃんの信長が本能寺で亡くなっちゃって、跡取りの信忠も切腹したのに
有楽斎はずーっと生き延びていて、最期は京都の正伝院 となってます。
で、
この如庵は正伝院に付属するかたちでつくられていて、
つまり有楽斎の 終の棲家と言えると思います。

お茶と言えば利休だし、利休t言えば小さい茶室なんだけど
そしてこの如庵もたしかに小さい茶室ではあるんですけど、
(二畳半台目、つまり2.75畳っすね)
なんだか違う気がする。

何が違うかと言うと、有楽斎は利休をあんまり敬ってなかったというか・・なんというか・・

まあ 今日はお腹もすいちゃったし
ボチボチ書いていくんでこんなとこで。(あれ?)

おまけの写真 というわけではないんですが
お茶室の写真を二枚。
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やれ宮大工がすごいとか、いややっぱり数寄屋でしょ とか
いろんな言い方があって海岸屋は内心不満を感じたりするんだけど
こんな写真をみると やっぱりすごいわ と思わずにはいられませんね。
ええ
お茶室って貧乏くさいよねとか言っててすみませんでした。はい。
ではまた。

by kaiganyafoo | 2015-05-03 20:33 | 建物いろいろ | Comments(4)