海岸屋ふー通信


海浜住宅建築舎
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サヨナラ数寄屋

はい。
みなさん おつかれさまです。




このあいだわけあって車を買う話をしていて
カーナビとETC をつけて・・というつもりがATMと言ってしまいました。
自分の車にATM・・
便利というよりもなんだか恐ろしい。
そして横文字が弱いのは年寄り特有の症状では?





さてずーーっと前、(失礼)茶室の研究をした人が堀口先生以前にはいなかった と書きましたが
そもそも茶室という用語を定義づけた人がそれ以前にいます。
武田五一という人です。
はいこれ。
サヨナラ数寄屋_a0157159_20565830.jpg
武田五一はこれを東大の卒業論文として書いたらしく、それを師の伊東忠太に言われて雑誌に連載したとか。



藤森先生は お茶の源流には道教の影響がある とおっしゃってますが、
建築史家である藤森先生は利休以前にさかのぼって栄西よりもっと昔
陸羽のところまで行ったところで、不老長寿の願いを聞いてそうおっしゃったのでしょう。

ただ、「茶」 という大きな川にはたくさんの支流の水が流れ込んでおり
その中の一つの源流をたどることに意味はあっても
総体をつかむという作業はおそらく形而上的な作業にならざるを得ないはずだと思います。

磯崎さんは この本のあとがきの中で、興味深いことを言っています。

「茶室」 という言葉である一定の様式を規定すると
その中に入るものとこぼれ落ちるものとが出ます。  

でも
そういった モノのとらえ方 というものは明治以降のものだということですよね?
おそらく元亀天正のころの人々にはなじみのない方法論だろうと思いますし
すくなくとも茶室という名前(の分類)に関しては武田吾一以前にはなかった考え方ということになります。

以前、浜離宮の中に再生された 松の茶屋 を見学した際に
これは茶室ではありません と何度か念を押されたのを思い出します。
けど、だからといって松の茶屋で茶の湯をしないという禁忌があるわけでなし、
要は分類の話なんです。

茶屋は 茶もできる施設で
茶室は 茶をするための施設だという。
では、数寄屋は?囲いは?
どうでしょうか、これらを分類していくのは数寄的な姿勢でしょうか。
(ごめんね武田五一)

茶室、という概念を規定した武田博士以前からお茶の施設はあったわけで、
そんな建築のカテゴリー化をいったんはずして考えるほうが昔の人の考えに寄りそうかもしれず
では、昔の人が数寄屋に何を望んだのかと言えば それはアレではないですかね・・


数寄という言葉はお茶を介して建築と結びついて数寄屋となって
今はお茶をやらない人でも数寄屋に住んで不思議には思わない風潮ですが
吉田五十八の師匠、大工の岡田さんは、以前はそうではなかった と言ってます。
明治期にはお茶と数寄屋がもっと密接だったのでしょうか。
それ以前はどうだったのか。

利休なんだか誰なんだかわかりませんが、茶の湯と数寄を結びつけた人がいる。
そう、数寄という言葉と概念は当時、お茶の専売特許ではなかった。
先行事例があるんですな。
みなさん とっくにご存知ですがそれは・・・
歌の世界。和歌ですよ。
西行とかのアレです。
歌数寄。
ですから最初はお茶の数寄は茶数寄と呼ばれてたと聞きます。

じゃあ 数寄ってなんだよ と言われれば それは
「自然を観照する人の心」 だろうとワタクシは思うのであります。
そこが歌数寄と茶数寄に共通すると思う。
つまり、 その利休だか誰だかはきっと一番ゆるぎのないかっこよさの規範を求めて
「数寄」の概念の向こうにある「自然」に着目したんだと思う。

自然こそが、移り変わりつつも しかも変わらずに人々の心を照らしますね。
ここに基準を置く限り、人の世は変わってもうつろわない美の規範が得られるのかもしれません。

さあみなさん、茶室に自然木が多用され、壁が土であらわされている理由がわかりましたね?
(えらそう)

そのままの自然ではなく。
人のこころに響くように。
それは取捨され、洗練され、抽象化されます。

山の立ち木は選ばれて、
茶室に持ち込まれ、
見立てられ、
やがて中柱という概念だけが残るのです。
ね? 西行が「桜」と言ったときの抽象化と似てませんか?


んー
数寄屋の価値観の先行事例が和歌の世界だって そんなことみんな先刻ご承知かな?
でも、他ではあんまり見た事ないんだけど。
知ってた?
海岸屋はいろいろ本読んじゃったよ。

でもね、一応腑に落ちたからいいです。
現代の数寄屋はちょっと弱ってる。
木柄が細くなくっちゃいけない なんて偏ってると思うな。
思いおもいの数寄を楽しめばいいんじゃない?
大事なのは自然を手本にすることだけで
あとは個々の美意識の高さで見て行けばいいでしょ?
古民家の太い柱 梁だって数寄の精神はあるよ。
そんなのダメって、利休や、まして西行は言わなかったと思うな。
サヨナラ数寄屋。

ではまた。


by kaiganyafoo | 2016-11-29 20:55 | 読んだ本 | Comments(2)
Commented by まめたん at 2016-12-08 22:32 x
お疲れ様です(作業も読書も笑)

今時は家の中に木を見かけないのが珍しくない時代ですね(´`:) 中には「木」と言う物が嫌いだから「クロス」で巻き込んで下さいとか…

価値観、美的感覚のカイリが甚だしいものが有りますが、感覚の世界は遺憾ともし難いところでは有ろうかと思います。

いくら天然素材で素晴らしい物が有ると説いても、化学素材、工業製品で「綺麗」な物が沢山有るのにどうしてそんな汚らしい物を使うのかっていう話になるようです(;^_^A



Commented by kaiganyafoo at 2016-12-10 11:26
正直なところ、年期の入った茶室などは きたない と言われかねない風潮ですね。

平田雅哉の写真集などで名料亭を見ても、建材の畳を見慣れた目からは、いまいちぴしっとしてない畳 などと感じるだろうと思いますし。

おっしゃるように身の回りの全部が工業製品で囲まれていますから、感覚がそれに慣れてしまっているのでしょう。
自分自身を含めた生き物全般が一番不定形であやふやな存在だということを忘れていては片手落ちだと思うんですけどね。
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